音楽家と戦争
先週、産総研の大規模接種で3回目のワクチンを打ってきました。
3度目ともなると、私もスタッフの方々も慣れた感じで、とってもスムーズな流れ作業。
あっという間に終わりました。
モデルナは、今回は半量ということで、副反応も半分みたいでした。
腕が痛いのと微熱程度で、翌日の午後には元気になりました。
個人差があると思いますが、私の場合は今回は大した事なく、安心しました。
茨城県は、なかなか感染者数が減ってきません。
発熱外来は争奪戦という噂を聞きました。
朝8時から電話受付が始まり、すぐに予約枠が埋まってしまうのだとか。
季節の変わり目で寒暖の差が激しく、体調を崩しやすい時期でもあります。
油断して薄着で身体を冷やさないように、気をつけなくては。
ところで先日、パラリンピックの閉会式がありました。
私は昨年の東京パラリンピックの時からパーソンズ会長のスピーチが好きで、毎回聞いています。
お手本のような力強いスピーチで、聴衆を引き込む力があると思います。
今回の開会式や閉会式も、世界中の国のリーダーに聞いて欲しい、素晴らしい演説だと思いました。
平和に勝るものはありません。
200年くらい前、ショパンはロシアの支配下の祖国ポーランドからパリに亡命しました。
ショパンが生まれた1810年のポーランドは、ロシア、プロイセン(ドイツ)、オーストリアに分割されていて、特にロシア帝国の支配が強かったそうです。
フランス革命の影響でポーランドでも革命の機運が高まっている中、1830年にショパンはワルシャワを離れてオーストリアのウィーンに行きますが、その途中で革命が起こり、それは失敗に終わります。
ロシア軍に街は破壊され、家族や友人の安否もわからず、その時のショパンの怒りや悲しみは計り知れません。
その後、パリにどうにか渡り、先に亡命していたポーランドの貴族たちに助けられて、パリで活躍したショパンは、二度と祖国へは帰れませんでした。
そして100年くらい前、ロシア人のラフマニノフも、パリに亡命して、最終的にアメリカに移住しました。
1917年のロシア革命で帝政から社会主義体制になったロシアでは、音楽も社会主義的なものを求められるようになり、当時のロシアの音楽家達は世界中に亡命して散り散りになりました。
ラフマニノフもプロコフィエフも、その時に亡命していますが、プロコフィエフは後に戻っています。
昔から、あの辺りの国々の情勢は不安定で、何か起こる度に国民は振り回されて大変な苦労を重ねてきているんですね。
特に芸術というのは、プロパガンダに利用されやすい。
日本でも、戦時中は古関裕而による軍歌や戦時歌謡曲が大ヒットしました。以前放送していたNHKの朝の連ドラの「エール」では、戦意高揚を目的にする音楽を作り続ける作曲家の葛藤が描かれていました。
全く、いつになったら、人類は殺し合いをやめるのでしょう。
最近のロシアとウクライナの状況を見て、
だいぶ前に買ったものの、途中で止まっていたこの本の存在を思い出し、引っ張り出して読み返しています。
私は歴史が苦手で、国や人の名前が多すぎて頭に入ってこないというか覚えられないというか、
なかなか読み進めるのが大変なのですが、
世界史と音楽史が一緒に学べる便利な本です。
この機会にちゃんと最後まで読もうと思います。
この平和が続きますように。
2コメント
2022.03.17 09:51
2022.03.16 16:52